【珠玉の島酒・泡盛が飲める店】創業は沖縄復帰年。「ドゥル天」発祥の「古酒と琉球料理うりずん」
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那覇市内で夜が元気な地域のひとつ、栄町(さかえまち)。地元人(じもとんちゅ)はもとより、沖縄県外の方からの人気も高く、栄町を好んで飲み歩くリピーターさんも多く見受けられます。
ゆいレール「安里(あさと)」駅を下車して徒歩数分。夜はひときわ賑やかな栄町市場の入口に建つ趣ある一軒家、それが「古酒と琉球料理うりずん」です。栄町を代表する老舗の泡盛居酒屋としてご存知の方も多いのではないでしょうか?
創業は沖縄復帰の1972年8月15日。泡盛より洋酒が好まれていた当時、栄町で初の泡盛居酒屋として、故・土屋實幸(つちや・さねゆき)氏によってオープンされました。

事前にご相談の上、泡盛2銘柄とその泡盛に合いそうなオススメ料理を1品ずつご準備いただき、オープン前の明るい時間に伺いました。
今回は「うりずん」と長年お付き合いのある「泡盛百年古酒元年管理運営理事会(※)」理事長・知念博(ちねん・ひろし)さんが取材に応じてくださることになりました。
※「泡盛百年古酒元年管理運営理事会」… 土屋實幸氏を中心に1997年から始まった「泡盛百年古酒造り」。土屋氏が他界された2015年から中断されていたが、土屋氏の想いを継承し百年古酒を完成させようと、2019年から仕次ぎを再開。
沖縄に居酒屋が登場したのは復帰後のこと
「むかしはね、家で晩ごはんを食べてから飲みに出ていましたよ。
当時は居酒屋というのはなくて、食べるお店と飲む店が分かれていました。少しくらいは飲むけれど食べるのは割烹や寿司屋で、飲むのはスナックかカフェーでした。スナックでもウイスキーを1本取ったら刺し身とかチャンプルーとかちょっとしたものをつけてくれたね。
飲み食いがいっしょになった居酒屋というスタイルは復帰後から出てきたんですよ」。
知念博さんは「うりずん」創業前のようすから語り始められました。

「最初にできたのは桜坂の『おもろ』。『うりずん』より5~6年古く、『おもろ』が泡盛居酒屋の原点ですね。
土屋さんも『おもろ』の常連で、自分も栄町で泡盛居酒屋をはじめたい、と『おもろ』に相談されてね。『うりずん』の名付け親は『おもろ』なんですよ。
いま沖縄県内には47の泡盛酒造所がありますが、当時は57ほどあって、土屋さんは全酒造所の泡盛を売りたいと意気込んでいました」。

「私が『うりずん』に入ったのはオープン3年目、学生でバイトとして働きました。
お店は土屋さんとバイトでやりくり。氷もお水もお料理もお客さんが自ら運ぶような状況でしたね。
当時は1日4~5名しか来ませんでした。これだけじゃ食べていけないからお弁当をつくったりそばをつくったりしていましたよ。土曜は県庁職員やグループが2~3組来店されて、土日の売上と弁当やそばで食いつないでいました」。

「むかしの栄町は料亭と遊郭の町でした。『うりずん』の建物は遊郭だったところを借りて改装・補修しながら続いています。入口はいってすぐ右手の小さな部屋は受付で、1階に3部屋、2階に4部屋ありました。いまは1階も2階もすべて使っていますが、当時は2階に土屋さん家族が住んでいて、私も2階に寝泊まりさせてもらっていました」。(以上、知念博さん談)

創業者の粋な計らいで商標登録された「ドゥル天」
沖縄料理店でおなじみの一品「ドゥル天(どぅるてん)」。沖縄の祝料理によく用いられる「ドゥルワカシー(田芋の煮物料理)」を揚げたもので、ねっとりとしたドゥルワカシーがサクッと衣をまとったやさしい味の一品です。
どこの沖縄料理店でも人気の「ドゥル天」の発祥は「うりずん」でした。
「傷みやすく足がはやいドゥルワカシーをもったいないからと、天ぷらにして賄いにしていました。
それがお客さんの目に止まり、『それはなに? 食べてみたい』と言われ、お客さんにも出してあげたら“美味しい”と評判になったんですよ。子どもも食べられるしツマミにもなるってことで、たちまち人気がでましたね。
ドゥルワカシーの天ぷらだから、『ドゥル天(どぅるてん)』と名付けられました」。

「『ドゥル天』はね、商標登録されているんですよ。
人気が出てきて他のお店もドゥル天を出すようになったものだから、誰かが独占してしまわないように、みんなが自由に使えるようにと、土屋さんは『ドゥル天』を商標登録したのです」。(以上、知念博さん談)
「ドゥル天」が商標登録されていたとは初めて知りました。それは、商標登録で護ることによって、誰もが自由に安心して使えるように、という創業者・土屋氏の粋な計らいだったのですね。
古酒は飲むもんじゃない!
この日は、「うりずんオリジナル古酒20年」と「舞富名(まいふな)」、名物の「ドゥル天」と「豆腐よう」をご用意いただきました。今回はお話を伺いながら、知念さんと一緒にいただきます。
「うりずんオリジナル古酒」は20年ともなるとさすがの味わい。「舞富名」は今後入手困難と噂されている与那国島の入波平(いりなみひら)酒造の泡盛です。いずれも味わいのあるチブグヮーでチビリチビリと大切にいただきます。
はじめにサクッと噛んだ次の瞬間、ねっとりとやさしい味が口に広がる「ドゥル天」。 “もっと呑め”と応援するような「豆腐よう」に古酒が進みます。

「はぁ~。20年古酒ともなると、さすがですね。美味しくってついつい飲んじゃいます」とため息交じりに感想を述べると、「古酒は飲むもんじゃない!」と知念さんが少し強い口調でおっしゃいました。ハッとして知念さんを見ると、
「古酒は飲むもんじゃない! 年月を流し込んじゃいかん!!
古酒は舐めるもの。味わうものですよ。
古酒はチブグヮーに注いでから10分くらい置いておくと良いですよ。香りが開くから。馥郁たる香りを楽しまないと」
と知念さんは笑顔で諭されました。
主流はウイスキー。から、泡盛が広く飲まれるようになったワケ
知念さんのお話を伺っていると、偶然ご友人がいらっしゃいました。
「こちらも古くからの常連さんだから一緒に話を聞いたらいいさ~」と友人を手招きされる知念さん。
ご友人も加わり、古酒をいただきながらお話を伺う流れになりました。なんとも沖縄らしい展開です。
加わられた方は、「泡盛百年古酒元年管理運営理事会」副理事長・高江洲和男(たかえす・かずお)さん(写真左)。「うりずん」2年目からの常連さんでした。

「むかしの泡盛は1合、2合、3合、1升でしたね。4合瓶は復帰後に出てきましたよ。
もしかしたら『暖流』だったかは4合瓶があったかもだけど、4合瓶というのはほとんどなかったですね」
「いまはアルコール30度の泡盛がたくさんありますが、復帰前の泡盛は平均45度くらいでした。復帰してから30度ができたんですよ」
「むかしの泡盛は臭くてねー! それでみんなウイスキーを飲んでいたんですよ」
「そうそう! あの頃の泡盛は本当に臭かった! 汗もオシッコも臭くなるくらい。
全身から毛穴から臭うもんだから、飲み屋の女の子に嫌われると言って、みんな泡盛を避けてウイスキーを飲んでいたよね」
「スナックで泡盛を飲むときは、カウンターの下に泡盛の一升瓶を隠して、ウイスキーのフリして飲んでたよね(笑)」
「匂いの原因は雑菌。その頃は酒造技術がまだまだだったからね」
「復帰後、国税が指導して、濾過技術・蒸留技術が向上しておいしくなったんですよ。いまでは無濾過でもやれるくらい!」
「国税のおかげで泡盛の味が向上したから、泡盛が広く飲まれるようになったんですよ」。(以上、知念さんと高江洲さん談)

今回は「うりずん」と縁の深い知念博さん(写真右)と高江洲和男(写真左)さんから、「うりずん」にとどまらず、半世紀に渡る泡盛事情を楽しく伺いました。
泡盛に纏わるお話のなかで、とくに印象に残ったのは高江洲さんの願いです。
「琉球王国時代の首里城には、泡盛などを保管管理する『銭蔵(ぜにくら)』と呼ばれる施設がありました。
現在、銭蔵があった所は休息施設になっていますが、ぜひ銭蔵を復元して、むかしのように銭蔵に泡盛を寝かせて育てて欲しいと願っています」。
沖縄の歴史・伝統文化を復元、再現し、未来へ繋いでいきたい。
泡盛をこよなく愛するひとりのウチナーンチュの強い想いは、古酒が染み込むように私の胸にじわぁっと染み込みました。

そのほか、ちょっと公の場には綴れないような酒席ならではの愉快なお話もたくさん伺いました。
みなさまも「うりずん」で大常連のおふたりにお会いしたら、なにか楽しいお話が伺えるかもしれませんね。
ノスタルジックな雰囲気が味わえる「古酒と琉球料理うりずん」、是非ご予約の上ご来店ください。
うりずん
http://urizun.okinawa/index.html
住所:沖縄県那覇市安里388-5(うりずん本店)
電話:098-885-2178
営業時間:17:30〜24:00
休業日:なし
Photographs & Text by 安積美加(Mika Asaka)