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泡盛と酒器:白鴉再生硝子器製作所の心地よい “ ゆらぎ ” が煌めく琉球ガラス

お酒と文化

鈴木紳司さんの手仕事により生まれるのは、再生ガラスを使用した琉球ガラス。一度、役目を終えたはずの廃ガラスを再利用し作られるのは、飾らない美しさを放つグラスです。手作りの工房ですべての工程を一人で行い、一つひとつ丁寧に作り上げる毎日。琉球ガラスの出会いは?手作りの工房について、琉球ガラス職人としての歩み、などについて紹介します。

琉球ガラスとの出会い

東京生まれの鈴木紳司さんは、母親がうるま市出身だったこともあり、幼少期から沖縄へ何度も遊びに来ていたのだとか。そのため、琉球ガラスの存在も、物心ついた頃から知っていたそうです。

「沖縄に遊びに来たとき、親戚のおばちゃんとかにいろんなところに遊びに連れて行ってもらって。琉球ガラスの工房にも連れて行ってもらい、体験もしました。小学生の頃、コップを作ったのを覚えています」

都立高校に通った後、海外留学を決め、中国へ。日本に帰国後、中国系の企業に勤めていましたが、何か違うと感じ退職することに。東日本大震災のあった2011年でした。

辞めた直前は東京で仕事を探すつもりだったものの、被災地に足を運びボランティアをしているうち、いろいろと模索するように。同時期、両親が沖縄に家を建てたばかりだったのもあり、東京を離れて沖縄に訪れるうち、沖縄への移住が決まったそうです。沖縄に来たあと、航空会社でグランドスタッフとして働くも転職することに。そして、いよいよ琉球ガラスと深く関わり始めます。

「転職を考え、奥さんと話しているとき、“ 琉球ガラス ” っていうワードが出てきた。そのとき、ふと昔のことを思い出しました。『子どもの頃に見た琉球ガラス、かっこよかったな』って。よく分からない軟らかそうなものが、どんどん形を変えて、しまいにはコップになっちゃう。色も好きだったかな。当時の記憶で、厚いガラスの色合いが、ちょっとオレンジ色に光って見えてるのとかを、すごく思い出して。せっかく沖縄にいるから、サラリーマンではなく、手でモノを作るような仕事をしたいって思い始めました。29歳のときでした」

本格的に琉球ガラス職人の道へ

当時、観光客もよく訪れる読谷村にある体験工房での見習いを経て、同じく読谷村にある「琉球ガラス工房 清天」で、本格的に琉球ガラスの技術を学び始めます。

「清天は体験もあるけど、生産がメインなので。技術は、清天で学びました。手元として棒を持って行ったり、棒の先にガラスをちょっと巻いて、形つくって渡す。すると、吹き職人が、ガラスを捕まえて、つけて、落とす。棒をつけたあとは、仕上げの職人に渡すっていう、手元の仕事。そのあとは、下玉と言って、豆電球みたいなガラスを作る作業。吹いて反対側に棒をつけ、切り落とすまでの作業ですね。ここまでで、4年かかかった。途中、後輩に追い抜かれたこともありました」

琉球ガラスに携わり始めてから出会い、体験工房と琉球ガラス工房 清天で同じ時間を過ごした、glass32の具志堅充さん、琉球ガラス工房 清天の松田清春さんは、鈴木さんにとって偉大な師匠であり、2人の下で琉球ガラスを学べ、恵まれていたと話します。

「白鴉再生硝子器製作所」設立

glass32の具志堅さんから窯の作り方を学び、ついに2017年に手作りの窯が完成。工房の名前は、“ 白鴉再生硝子器製作所 ” と名付けました。

「うちの父が電気屋だったんですけど、製作所って名前がついてて。どこか町工場のようなイメージをつけたかった。日本でやる、日本人が作るものなので、漢字や日本語にこだわりたかったんです。そして、僕は再生ガラスを使って琉球ガラスを作るんですが、再生ガラスに付加価値を感じていたんです。再生ガラスには、ストーリーがある。一度捨てられるはずだったものが、カタチを変えて生まれ変わるっていうのは、すごくいい。だから、再生ガラスは入れようって思いました」

では、なぜ白鴉だったのか?とても気になります。

「白鴉(しろがらす)の白とガラスは言葉遊びです。あと、カラスって光るものを集める習性がある。ガラスも光ってるし、意味合い的にもいいかなって。カラスは国によってイメージが違うけど、日本にもヤタガラスがいるように、お話変われば、神様の使いにもなるし、魔女の手先にもなる。僕は、カラスをいい意味として捉えています。そして、語感ですね。電話に出るときとか、『しろがらす』って舌が回るような感じでいいやすい。音の感じも気にいってつけました」

鈴木紳司さんが生み出す琉球ガラス

鈴木さんが手掛けるグラスの特徴は、なんといっても再生ガラスを使用していること。再生ガラス特有の透明感と深み、鈴木さんの感性から生まれる、飾らない美しさにファンも多く、催事でも人気だと聞きます。

「僕が作るのは、再生ガラスを使った琉球ガラス。もともと、壊れた道具を直すとか、捨てられるはずだった廃材を作り替える、生まれ変わるものに興味がありました。新しい部品を集めてきて新品を作るのも、もちろんすごいけど、壊れたものを修理するっていうのがすごい。再生ガラスも、本来は捨てられるものが、もう一回、カタチを変えて、使い方も変わって生まれ変わる。いま、SDGs(エスディージーズ:持続可能な開発目標)ってあって、エコが注目されてる。僕の場合、エコにこだわってないわけでもないけど、エコにこだわってるわけではなく、再生ガラスが好きだから、再生ガラスを使った琉球ガラスを作っています」

“ ゆらぎ ”が美しいグラス

絶妙な凹凸が生み出す美しさは、鈴木さん流にいうと “ ゆらぎ ” 。その佇まいは、見る人によって様々ですが、凛とした清々しさも感じます。また、見る角度によって光の屈折具合も変わり、キラキラと表情を変えるのも魅力です。このグラスは、どのように生まれたのでしょうか。

「職人も二通りあるのかな?決められたサイズ、同じ物を作る人。もう一つは、感性でやるような人。僕は、その間を狙いたい。芸術と職人の間を狙いたいと思っています。ゆらいだグラスは、半分は偶然できました。同じ模様を作るのでも、いろんな作り方があると思うんですけど、凹凸のあるものを作ろうと何度か試してみたところ、ゆらいだんです。ゆらいだグラスっていうのは、工業製品では作れない、やりづらいと思うんです。手作りでやるからには、工業製品からかけ離れているものを作りたくて、ゆらいでいる商品を増やしていきたいと思っています」

生み出す難しさのなかにある喜び

楽しいことは少なく、しんどいことの方が多いと話す、鈴木さん。常に悩みながら、進化しながら、一つひとつ丁寧に、想いを込めてグラスを作ります。

「ほとんど毎日悩みながらやってる。もうちょっとこうなってた方がいい、っていうのが、どうしてもつきまとう。完璧すぎると工業製品に近くなってしまうので、手作りだし、完璧を求めすぎないようにって思うんですけど……。あと、同じガラス職人が見たとき、『いいもの作ってるね』って思われたいって気持ちがでちゃう。昔、glass32の具志堅さんに言われたことがあるんです。『紳司、それは見栄だよ』って。本当にそうなんですよ。どうしても、見栄がでちゃうんですよね。楽しいく作れてるな、って思えるときは少ない。常に悩みながらやってます」

そんななか、職人として歩み続けられるのは、喜びがあるからこそ。ショップを併設していないため、直接的な反応が得られづらいと話しますが、商品を扱う業者さんらを通じてお客さんの反応を聞けるとうれしいと表情がほころびます。

「『鈴木さんのグラスすぐ売れましたよ』『催事やってるんですけど、もっと在庫ないですか』、って言われると、うれしい。あと、泣きそうになるぐらい、うれしいこともありました。普段はグラスを手に取ることのない有名な方が『これ気合い入ってるね』て言ってた、っていうのを聞いたとき、本当にうれしくて。業者さんから聞いたときは、泣きそうになるぐらいでした。それを聞いてしまって、見てくれる同業者もいるので手が抜けなくなってしまった。でも、完璧を追い求めすぎないようにっていうのは、意識しています」

一から十まで一人で作り上げる琉球ガラス

自身のことを、自己肯定感が低いと話す、鈴木さん。琉球ガラスを作り始めたばかりのときは、作ったものが本当にいいと思ってもらえてるかが不安だったと言います。しかし、長年、琉球ガラスを作り続けるなかで、鈴木さんのスタイルが作り上げられていき、作りたいと思う琉球ガラスも進化しながら生み出されて続けている。手にとる、“ ゆらいだグラス ” 一つひとつが、鈴木さんが幼い頃に琉球ガラスに感じた『カッコイイ』のように、買い手にさまざまな感情を与えます。

「自信満々で始めたわけではないけど、一生懸命やって、作ったものをいいって言ってくれる人がいるのはうれしいこと。窯も自分で作り上げて、自分で作った道具もあって。その環境のなかで、デザインを考えて、一から十まで一人で作ってる。一人より、2人、3人の方が生産量は倍程変わると思うんですけど、それでもやっぱり、いまのままのスタイルでやりたい。新しいものを作りたいけど、奇抜なものを作りたいわけでない。いまあるグラス、いまあるカタチなんだけど、白鴉を知ってる人が見たら、あっ、これ白鴉だねって分かる何かを見つけたい。これが見つからないと、一生の仕事にはならないと思ってます。ゆらいだグラスも、使う道具によって表面の見え方など変化が出てくるので、追求していきたいです」

鈴木さんの生み出す琉球ガラスから、これからも目が離せません。

<鈴木紳司さんProfile>

鈴木紳司(すずきしんじ)。東京都出身。2011年、沖縄へ移住。「琉球ガラス工房 清天」等での見習いを経て、2017年より独立。白鴉再生硝子器製作所、設立。再生ガラスを使った琉球ガラスを製作。県内クラフトショップほか、催事などでも、販売している。

Photo&text:三木愛海