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泡盛と人:東盛あいか【後編】昔からの風習、知恵から知る島酒

お酒を愛する人

前編『与那国島を舞台にした、自主映画作品「ばちらぬん」がグランプリ受賞! 』に続き、沖縄出身の東盛あいかさんが登場。後編となる今回は、与那国島の日常にクローズアップ。東盛さんが実際に体験した話はもちろん、与那国島で暮らす祖父との会話から、島酒について深堀りしていきます。島の生活とは切り離すことのできない島酒の話は、興味深いエピソードばかり。飲む島酒としてだけではなく、暮らしの中で活用したり、人間の生死とも深い関わりがありました。東盛あいかさんを通して、リアルな島の日常を覗いてみましょう。

東盛さんと与那国島をつなぐ、祖父の存在

自主制作映画『ばちらぬん』の舞台。そして、東盛さんにとっての故郷・与那国島で、誰よりも帰りを心待ちにしているのは、母方の祖父。90歳を過ぎてもなお、手仕事をしながら、一人暮らしをしています。

「元々は、農業をしていました。でも、事故で体を動かせなくなってリタイアした60代ぐらいから手仕事を始め、ほぼ毎日、手作業で島の民具を作っています。島に自生しているクバやヤマイトなどを使って、クバ笠やカゴを作っています。島で民具を作っている人の中では、祖父がいちばん高齢だと思います。与那国にある売店の方や島の人に、『舞踊で使う笠やカゴを作って』と、お願いされたり、親戚のお祝いごとがあると、頼まれていなくても勝手に作ったりして。祖父が、『結婚式とかであげたりしたときに、喜んでもらえるのがうれしい』って、言ってました。

民具を作る材料となるクバなどを穫ってくるのは、祖父の弟子や友達。一人暮らしをしていることもあり、身の回りのサポートもしてくれているそうです。大切な職人技を継承しつつ、自身も民具を作り続けています。

「子どもの頃、毎日、側で作っているのを見ていたけど、小さいときは関心がなくて。大人になってから初めて、祖父にクバ笠の作り方を教えてもらいました。竹を細かく割いたりする作業があって、高齢だから手も震えているのに、すごく細かく割いて、きれいに仕上げていく。自分には、難しくてできなかった。実は、祖父には弟子がいるんです。さとうきびの収穫時期とかに、島外から期節業で働きに来た方の中で、祖父が作った民具に興味を持ってくれた30代のご夫婦がいて。祖父から民具の作り方を習って、島にも移り住んで生業にしてて。民具を作る材料は、弟子の方や友達が穫ってきてくれて、一人暮らしをしている祖父のことも気にかけて様子を見てくれたりしています。与那国には遠い親戚はいっぱいいるけど、近い親戚は住んでいなくて。近所の人、島の人が、祖父のことを気にかけてくれるから、『ありがとう』って気持ちでいっぱいです」。

大人になってから知った、祖父と泡盛との関わり

島の民具を作っている東盛さんの祖父は、農業の傍ら、ある製造にも関わっていました。与那国島を代表する銘酒・花酒を造る、崎元酒造所の前進となる、酒造所での泡盛づくりです。

「与那国で農業をしていた10人以上の人たちで合同会社みたいな感じで出資して、酒造所を立ち上げたのが始まりらしいです。1975年から5、6年の間は、久元酒造として酒造りをしていました。祖父の家は、久部良って苗字の一族で、一緒に始めた親戚の崎元家の一字ずつを取って、久元酒造としたみたいです。現在は、崎元酒造となっています。創業当時は、祖父の父と一緒に農業と並行して酒造りをしていたみたいで、すごく忙しかったようで。農業もあって手が回らなくなり、(酒造りを崎元家に一任し、)久元酒造から崎元酒造になったようです」。

祖父が、崎元酒造の前進となる酒造所で酒造りをしていたと知ったのは大人になってから。幼い頃から泡盛の話を聞かされていましたが、まさか、祖父が酒造りに関わっていたとは、思ってもいなかったそうです。

「子どもの頃は、祖父がお酒を作っていたなんて知らなくて。お酒が好きだから詳しいんだ、としか思ってなかった。大人になってから祖父が酒を作っていたと知って、驚きました」。

飲むだけではない泡盛。島の生活と関わりの深いエピソード

幼い頃から祖父に聞いていた泡盛の話は、島の生活に密接したエピソードでした。飲み味わう泡盛としてだけではなく、島での生活の知恵ともいえる活用法でした。

「私が子どもの頃にカゼをひいたとき、泡盛を浸した布を首に巻かれことがあって。カゼをひいたときに塗る薬のように、アルコールに浸した布を首に巻くと、すーっとして鼻に抜ける感じがしました。祖父がやれっていうから、疑問もなくやってもらっていました。あとは、吸玉療法。いまで言う、カッピング。球体を吸い付かせて血行を良くするやり方で、足や腰とかにしてた。もともと機械があったけど、ある日壊れてしまって。祖父に『花酒とグラスを持ってこい』って言われたので持って行くと、60度の泡盛をグラスに入れ、チャッカマンでパッと火をつけて肌に被せました。すると、キュッと吸い付いて。昔は、同じ方法で普通に使っていたらしいです。祖父からは、泡盛の知識をいろいろ聞いたりしています」。

新型コロナウイルス感染症が流行した当初には、アルコールが不足する社会現象も起きましたが、そのときにも、島ではアルコールの代用品として、崎元酒造の泡盛が使われたそうです。

「新型コロナが流行ったとき、泡盛がアルコールの代用品として販売されましたよね。与那国でも、アルコールが不足したとき崎元酒造が78度の泡盛を出して、消毒変わりに使えるように配ってくれたんです。そのとき、祖父と一緒にちょっとだけお酒を口に含んでみたんですけど、一気にのどが熱くなって!もう、焼けるほど熱くなりました(笑)。祖父がグラスに泡盛を入れて火をつけて、手を温めたりもしていました」。

次に聞けたのは、酒造りに関わっていた東盛さんの祖父だからこそ自然と話題になる、アルコール消毒用78度の泡盛に関する、興味深く面白い話でした。

「あっ、泡盛って、78度まで度数が高くなると、注いだときに泡が立たないんですよ。60度の花酒は、名前の由来の通り、注いだときに出る泡が花っぽく見えるから名付けられてて。この泡が、アルコール濃度を見極めるときの基準になっているみたいで、78度にもなると、泡が出なかったんです。それを見て、祖父が『花がでない』って表現していました。実際に泡が出なかったので、2人で驚いて。で、お酒を飲んで、のどが焼けるほど熱くなって、さらにびっくりして(笑) 。泡盛の度数の測量の仕方が、一定の高さから泡盛をグラスを注いだときの泡の出方、量で図っていたっていうのも面白いですよね」。

“ 人と島と、泡盛との距離が近い ” 与那国島

東盛あいか

泡盛は、沖縄では歴史や文化などにおいて、とても重要。与那国島においては、さらに重要な役割を持っており、亡くなった方を弔う洗骨にも泡盛が使われます。

洗骨とは、亡くなった方を火葬せずに墓に埋葬(土葬)し、7年後に再び遺骨を取り出すのことです。その際、2本の花酒を一緒に墓の中に入れ、7年後、遺骨とともに花酒を墓から取り出します。そして、遺骨を60度の花酒で清めたあと、火をつけて遺灰にし、墓の中へと戻す。与那国島に残る風葬です。

「与那国で60度の泡盛を作るのを許されている理由は、日常生活の中で使うもので、 “ 切り離すことのできない生活の中の泡盛 ” だから。60度の花酒は洗骨にも使われていて、飲むだけじゃない泡盛として、存在しているからです。私自身は、洗骨に立ち会った経験はなく、最近はあまり聞かないですが、今も時々洗骨をやる家があります。納骨するときに花酒も一緒にお墓に入れるのですが、お墓を開けるとき『これは誰のときのお酒だ』って話しながら、中から取り出し、みんなで飲んでいます」。

洗骨の話からも分かるように、泡盛は島との生活と密接しています。ときには生と死にも泡盛が用いられ、与那国島に伝わる風習の一つ、という簡単な言葉だけでは語ることができない、島と人にとって支えとなっています。

「与那国では、人と島と、泡盛との距離が近い。“ 密接しているな ” って、感じます。島ではお葬式のとき、お別れの盃に泡盛が用いられます。子どもの頃の記憶で残ってるのは、亡くなった人の唇を泡盛で湿らせて、お別れを告げる方は額に泡盛を塗るんです。当時、されるがままだったけど、そのときのことはよく覚えていて、亡くなった方の冷たさって鉄の冷たさとは違う、人間の冷たさにゾワっとした。でも、怖いって感覚ではなくて、その時は亡くなった方の冷たさと、泡盛の冷たさが同じように感じた印象でした。でも、そうやって、泡盛が最期のさいごまで人と繫げてくれる。日常生活のなかでも、友達とか、人と飲む泡盛だったり、神様に捧げる泡盛だったり、亡くなった方に捧げる泡盛だったり……。与那国では、いろんな人、物、自然、神様との間に泡盛があって、“ 昔から繫げてくれたんだ” と感じます」。

離れていても近くに感じさせる泡盛。お守りのような、大切なアイテム

現在、関東で一人暮らしをしている東盛さん。島にいるときの泡盛、島を離れ一人暮らしをしているときの泡盛は、また、関わりが変わってきます。

「県外に出て、沖縄出身、与那国出身っていうと、すごくお酒が強いって思われるんですけど……(苦笑)。そんなことはなくて。普通か、もしくは弱いぐらい。部屋には、いつも与那国のお酒があって、飲むだけではなく、暮らしのなかで使える、私のとってはお守りのような感じです。家では一人で飲まないこともないけど、お酒って人と集まって飲むのがおいしいですよね。島に帰ったとき、同級生や友達と一緒に飲む泡盛がいちばんおいしいし、好き。あと、与那国の人は、みんな60度の泡盛を飲むって思われてるけど、普段飲むのは、30度ぐらいですよ? 60度を飲むのは、行事のときぐらい。私は、水割りで飲むことが多いです」。

最後に、東盛さんにとって、泡盛はどのような存在なのかを聞いてみました。

「私にとっての泡盛、崎元酒造の泡盛は、小さい頃からそばにあって、みんなが飲んでいたもの。崎元酒造の泡盛の味が好きで飲むっていうより、“ 一緒に、先祖代々、そのお酒と生きてきたもの ” です。それを知っているから、そばに置いておきたい、お守りのような存在なんだろうなって。ほかの泡盛と比べると、特別なものです。泡盛が、与那国そのものだったり、おじいちゃんを思い出したりします。距離が離れてても、泡盛を飲んだり、香りを感じると、いろいろ思い出させてくれる。島との物理的距離は遠いけど、泡盛が近づけてくれています」。

お酒にまつわる風習や習慣、知恵は、沖縄だけではなく、日本各地、そして世界中に存在しています。そのなかでも、今回は、東盛あいかさんを通した、与那国島での島酒事情を、身近に感じていただけたのではないかと思います。ぜひ、いつか与那国島へと足を運び、島の風を感じながら、島酒の香り、味わいを、じっくり堪能してみてください。

前編でも紹介しましたが、 東盛あいかさんが監督・主演を務めた自主映画作品『ばちらぬん』は2022年5月7日から全国で順次公開となり、全国上映に先駆けて4月30日(土)から、那覇市にある「桜坂劇場」にて上映予定です。沖縄本島在住の方、また、旅行で沖縄に来られる際には、ぜひ、桜坂劇場へ。詳細は、桜坂劇場の公式ホームページをご覧ください。

<東盛あいかさんProfile>

1997年生まれ。沖縄県出身。京都芸術大学映画学科俳優コース卒。6歳~中学生のとき、与那国島で過ごす。俳優、監督、クリエイター。新人映画監督を発掘するコンペティション「第43回ぴあフィルムフェスティバル」で、与那国島を題材とした自主映画作品『ばちらぬん』がグランプリを受賞。

<ばちらぬんPR・YouTube動画>