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金武酒造4代目・奥間尚利氏が語る金武酒造と泡盛造り <前編>

酒造所

沖縄本島のほぼ中央、東海岸に位置する金武町(きんちょう)。名水として知られる井泉「金武大川(ウッカガー)」をはじめ、県下でも有数な水どころです。特産は「ターム(田芋)」。「タコライス」発祥の地としても知られ、豚やヤギの血の炒め煮である沖縄料理「チーイリチャー」を提供する飲食店も多く、新開地ではアメリカとのチャンプルー文化が色濃く味わえます。 

1949年の創業以来、金武のサキヌマー(酒飲み)たちの喉を潤し、こころを満たしてきた金武酒造(きんしゅぞう)。 

未来の4代目となる常務取締役・奥間尚利(おくま・なおみち)さんに金武酒造をご案内いただきました。 
<前編>です。 

 <取材日> 2021年11月12日・12月14日 

金武酒造のこだわりと特徴

■ 古酒に力を入れています。年間に生産する泡盛の半分以上は古酒貯蔵に回しています。 
■ 基本に忠実。1回1回の仕込みをていねいに行っています。 
■ それぞれ特徴をもつ2種類の蒸留機を設置しています。 

 父の真摯な背中を見て社長を継ぐことを決意した4代目・奥間尚利さん

今回の金武酒造ご案内人、未来の4代目となる金武酒造常務取締役・奥間尚利(おくま・なおみち)さんにお話を伺いました。 

金武酒造 泡盛

​- 現在、常務取締役の奥間尚利さんが4代目を継がれると伺っております。 

創業者は辰年生まれの祖父・奥間慶幸(おくま・よしゆき)です。祖父は30代後半と若くして他界したので、祖母・輝子(てるこ)が女手ひとつで3人の子どもを育てながら2代目を継ぎました。現在は父・尚登(ひさと)が3代目代表取締役です。 
子どもの頃は家族で酒造所を営んでおり、曾祖母ちゃんも酒瓶を洗ったりと酒造所を手伝っていました。小学校の近くに酒造所があったので、子どもの頃から酒造所で遊んでいました。 

僕は兄ふたり妹ひとりの4人兄弟なんですが、小学生のときには、“父の跡を継いで社長になりたい!”、と思っていました。 

というのも、祖母から父に社長が代替わりした頃のことです。 
当時は子どもだったので、社長とは、ドラマで見るような高級車に乗って、カッコいい服を着て、威張っているイメージでした。 

ところが、父がトレパン姿で出勤しているのを同級生たちに見られて、「お前のとこの父ちゃん、社長なのにダサいなぁ」とからかわれたんです。 

その夜、「なんで社長なのにトレパンなの?」と父に尋ねると、「社長は会社で一番働かなければならないんだ」と父は言いました。 
当時、配達も何もかも自分でやっていた父のひたむきな仕事ぶりを見ているうちに、社長はとてもやりがいのある仕事なんだ、と思うようになりました。 
子どもだからお酒のことはわかりませんが、父の真摯な背中を見ているうちに、「父の跡を継いで社長になりたい」と思ったのが、小学校高学年のときでした。 

中学を卒業すると進学校へ行くよう父に言われていましたが、小学生からやっていた野球を続けたくて農大醸造科を卒業することを条件に、野球のために宜野座高校へ進学しました。そのときは父も送迎してくれたりと野球と勉強を両立させる高校生活を応援してくれましたね。おかげで甲子園にも行けました。1回戦で負けましたけど(苦笑)。 

 
東京農大醸造科で発酵技術を学び、大学卒業後は金武酒造で3ヶ月研修したのち、鹿児島の焼酎メーカー(芋焼酎)で1年間勉強させていただきました。 

金武に戻り杜氏(とうじ)として最初につくったのは、泡盛でなく金武町特産の田芋をつかった芋焼酎「金の誉(きんのほまれ)」です。泡盛は1次仕込みですが「金の誉」は2次仕込みです。全国初となる田芋焼酎で、米で麹をつくり、2次仕込みで蒸した田芋を加えています。 

農大で技術を学びましたが、金武酒造の酒の作り方は変えていません。 
いまの味を守りつつ、違う商品を造っていきたいですね。 

金武酒造 泡盛

ー 金武酒造の代表銘柄は「龍」と書いて「たつ」ですよね?

創業者である祖父が辰年生まれで、龍好き。「昇り龍」は縁起もよいとのことで、「龍(たつ)」と命名したようです。 

父も妹も辰年生まれで、全国初となる鍾乳洞の酒貯蔵をはじめたのも辰年(1988年)です。 

僕は2011年12月に結婚したのですが、「いまから仕込まんと辰年(2012年)に間に合わないよ!」と周囲からプレッシャーを掛けられて、がんばってなんとか辰年に息子が生まれました。奥間家は辰年に縁があるみたいです(笑)。 

ー 酒造りで大変な点、あるいは面白いと思われる点は何でしょうか? 

金武酒造 泡盛

酒造りは子育てに似ていますね。 
例えば、赤ちゃんが泣いているとき、赤ちゃんは話せませんから、なぜ泣いているのか、こちらが原因を見つけてあげないといけませんよね。 

酒造りも同じです。酒造りは、目に見えない微生物を扱います。なので温度や湿度などをアタマに入れながら、こちらが敏感になって小さな変化に気づくことが必要です。 

酒造りは10年は経験しないとしっかりできないですね。 

常に気を遣って、麹造り、酒造りを行っています。大変だけど、面白いですよ。 

(以上、奥間尚利さん談) 

これが知りたかった! 泡盛のキモを「口噛み酒」で理解 

ー 泡盛づくりに必要な黒麹や酵母など、沖縄県内の多くの酒造所が同じものを使っていると聞いたことがあります。 泡盛の基本的な造り方は同じですよね? お米に水、同じ黒麹、同じ酵母、同じような材料を使って、同じような造り方をしていても、それぞれ酒造所によって異なる泡盛ができるのが不思議です。 泡盛の香りや味を決める要因は何でしょうか? 

金武酒造 泡盛

泡盛の香りや味は、蒸留機のカタチや、加水に使う水、蔵付き酵母など、酒造所の環境によって違いが現れます。 

泡盛は米、黒麹、水、酵母によってつくられます。 
米の主成分であるデンプンを麹が分解してブドウ糖ができます。そのブドウ糖を酵母が食べてアルコールができるんですよ。泡盛の場合は酒造りに使う麹が黒麹となります。 

「口噛み酒」というものを聞いたことはありますか? 

酒の原料となる米を口のなかで噛み砕くことで、唾液中のアミラーゼという酵素の働きで、米のデンプンが糖に分解されます。唾液が麹の役割をしているんですね。 
噛み砕いた米を瓷などに入れて放置しておくことで、口噛みによってできた糖が、自然界に存在する野生酵母の働きで発酵されて酒を醸す。それが口噛み酒です。(※筆者注:口噛み酒については最後のしーぶんにも説明がありますのでご覧ください。) 
品質の高いお酒を安定して造るには自然任せとはいきませんが、極論を言えば、このように麹や(製品としての)酵母がなくてもお酒はできるのです。 

長い年月、酒造りを行っている酒造所の内壁や建物にはたいてい、その酒造所独自の麹や酵母が住み着いています。 
泡盛酒造所の壁が黒くなっている部分は黒麹菌なのです。 

それらは「蔵付き麹」「蔵付き酵母」、あるいは「家付き麹」「家付き酵母」と呼ばれています。 

 
酒造所を建替えて新築した直後にこれまでとまったく同じ造り方をしても、いままでと少し違った味の酒ができる場合があると言われています。そのため、「工場を新しくするときは、古い工場の柱を1本とっておいて新しい工場に使う」と聞いたことがあります。目には見えませんし、微々たるものかもしれませんが、蔵付き酵母も酒造りに少なからず影響を与えていると考えられますね。

金武酒造4代目・奥間さんオススメ銘柄

地元で人気の銘柄と、泡盛ツウの方へオススメの金武酒造の銘柄を奥間さんに教えていただきました。 

■ 地元・金武町で人気の銘柄 ー 「龍ゴールド25度」 

「龍(たつ)ゴールド25度」は、3年古酒を51%ブレンド。金武酒造の売上の99%を占めています。 

「ほかの泡盛は飲めないけど、龍は飲みやすい」と女性に人気の銘柄です。 
オススメの飲み方は、氷入の水割り。割り水はぜひ軟水でどうぞ。 

泡盛ツウの方へオススメの銘柄 ー 「鍾乳洞貯蔵古酒龍40度(1988年製造100%)」 

金武町内の鍾乳洞で熟成させた希少な古酒。 
泡盛ツウの方、チブグヮーでぜひお試しください。 

金武酒造 泡盛

<後編> へ続きます。 
後編では、金武酒造常務取締役・奥間尚利さんに製造現場である金武酒造第1工場をご案内いただき、泡盛の製造工程を追いかけます。 

<しーぶん> 

口噛み酒は、2016年公開の新海誠監督の映画『君の名は。』に登場しましたので、ご存じの方も多いかと思います。 

沖縄では口噛み酒(くちかみの酒)は神饌(しんせん)として用いられ、祭祀に供えられる3種の神酒のひとつでした。「カミミキ」または「カンミキ」と呼ばれた口噛み酒を醸す習俗は、明治に入ってから次第に廃れていきました。 

有限会社 金武酒造

https://kinsyuzo-tatsu.com/ 

設立:昭和24年(1949年) 
第1工場(製造)  〒904-1201 沖縄県金武町字金武429 
第2工場(事務所) 〒904-1201 沖縄県金武町字金武4823-1 
TEL:098-968-2438 
<酒造所見学> 可。要予約(平日9時~16時。5名以内) 

Photographs & Text by 安積美加(Mika Asaka)